NHK特集。9歳から始めるヤングケアラーと現実の課題
- NHK特集。9歳から始めるヤングケアラーと現実の課題
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ヤングケアラーの特集をWEBでNHK
いつものようにネットを徘徊していたら、結構長文のヤングケアラーにインタビューした記事を見つけてしまいました。
『これ本当の話?』
と思えるぐらいの状況で悲惨…。
誰か、何か手を差し伸べることが出来なかったのかな?
でもきっと、ヤングケアラーの方は介護することがあまりに日常化しすぎてきっと手を差し伸べても上手く行かなかったのかな?
等々いろいろ考えさせられる記事ではありました…。
ホントケアマネージャーとして考える所が結構ありましたね。
ケアラーさんが役目を終えた後に社会へ復帰できるかもケアマネの仕事なんだろうな…。
そう考えさせられましたね…。
記事全文を分割しつつケアマネ介護福祉士的に見ていきましょう。
ヤングケアラーになったのは9歳のころから…。
その男の子が、祖母の介護を始めたのは9歳のころからです。
祖母が亡くなったあと、母親の介護が続きました。
大好きな家族に元気になってほしい、その一心で、つらいと思ったことはないといいます。でも、母親が亡くなり介護が終わった時、男の子は38歳になっていました。
「外の世界とのつながりがほしかった」
大人になった彼が、漏らしたことばです。
ケアマネ介護福祉士的に状況を考える
「外の世界とのつながりが欲しかった…。」この言葉から察するように、ヤングケアラーとしての役目を終えた時。
振り返ってみると外部からの遮断、閉鎖感があり悩ましい展開だったのでしょう…。
なにより一人での介護は身体的、精神的にも負担が大きい…。
適切な相談窓口を見つけることも難しかったでしょう…。
「ミキサー食」を食べる彼
カズヤさん(仮名・42歳)は、ワンルームの部屋で、母親の遺骨が入った骨つぼと遺影を前に、食事をとっていました。
食事は、パンや野菜ジュースなどをミキサーにかけ、ペースト状にした「ミキサー食」を6年ほど食べているといいます。
カズヤさん
「こんなものでも、お母さんも『おいしい』って言ってくれたから、うれしかったです」
幼いころから介護をしてきたカズヤさんは、母親のために食事を作り、料理の手間を減らそうと母親と同じものを食べてきました。寝たきりになった母親が「ミキサー食」を食べるようになると、カズヤさんも同じように食べるようになりました。
こうした生活が長かったからか、今では「普通」の食事が食べられなくなりました。
食事を作る負担は大きい
ミキサー食を作るには食材を柔らかく下茹でしたりと確かに手間が大きいです…。
更に、本当はお母さんも常食を食べたいのに食べれない…。
そんな状況だったら目の前で常食を食べるのはなかなかはばかられる状況…。
常食とミキサー食を目の前で出せばお母さん自身も
『手間をかけさせてしまっている』
と感じることもあるでしょう…。
このケアラーさんは本当に考えている優しい人なのか…。
それとも共依存が顕著だったのかと思ってしまうくらいの状態です。
お金があればベビーフードでも代用できたのでしょうが…。
その辺ももしかしたらケアラーになったのが若すぎてネットの使い方等も持ち合わせていない状況なのかもしれないですね…。
始まった介護
カズヤさんは3歳の時、交通事故で父親を失いました。
その時から、母親と祖母とカズヤさんの3人暮らしになりました。
家計も少しの貯金と祖母の年金が頼りとなりました。
まもなくして、もともと心臓の悪かった母親は体調を崩しがちになり、家の外に出ることもほとんどありませんでした。
また、高齢になった祖母は、カズヤさんが小学3年生になったころから介護が必要になりました。腰を痛め歩けなくなり、母親に代わってカズヤさんがひとりで、病院に薬をもらいに行くようになりました。
祖母は自分でトイレまで行くことができなかったので、カズヤさんが手をつないで一緒に行きました。立ち上がってトイレに行き、部屋に戻ってくるまで30分ほどかかることもありました。
祖母のトイレの介助が、カズヤさんの日課になりました。
もっと頑張らなきゃ
このころ、母親は体調がいい時には料理を作ってくれました。でも外出はできなかったため、毎日の買い物や洗濯はカズヤさんの担当でした。
日用品も合わせて買うため、まだ小さかったカズヤさんにとって、買い物袋はとても重かったといいます。でもカズヤさんにとっては、こうした日常が「当たり前」でした。
大好きな家族に早く元気になってほしい。
その思いから、トイレの介助や買い物を必死に頑張りました。ただ、子どもを連れて歩く家族を見かけると「自分もお母さんとおばあちゃんとお出かけしたいな」と思ったそうです。
だから、カズヤさんは「自分がもっと頑張らなきゃ」と思いました。
小学校の卒業証書を受け取るカズヤさん
カズヤさんの生活は、母親と祖母のことが中心になっていきました。そのせいか、中学生になると頻繁に体調を崩すようになり、学校を休みがちになりました。
社会保障制度を上手く使えなかった可能性
母親の遺族年金は亡くなってしまった旦那さんが仮に国民年金等でなければ支給されたのに祖母の年金頼りというのはどうなっているのでしょうか…。
まあこの辺が日本の大きな問題なのかもしれませんね…。
情報弱者にはお金が渡らない仕組み…。
マイナンバーカードで管理するならこの辺の申請もいらなくなりますよね?
まあそんなことしたら社会保障費とんでもない金額に膨れ上がるのかもしれませんが…。
いずれにしろ、家庭の大部分を年金に頼るという一番危ないパターンに突入しての生活が早い段階で始まっているようです…。
介護中心の生活
高校進学の際、カズヤさんが選んだのは定時制の学校です。
夕方から始まる授業の時間以外は、できるだけ、母親と祖母のために時間を割こうと思いました。そのころ、母親は頻繁に倒れるようになりました。
病院で検査を受けると、更年期が原因のめまいだと診断されたといいます。母親は立ち上がることすらできなくなり、トイレの際は、カズヤさんが祖母と同じように手をつないで、介助しなければなりませんでした。
母親の体調が悪化したため、カズヤさんの生活は、これまで以上に介護が中心になっていきます。
日中は、食事の準備や買い物。洗濯や掃除もしました。
夕方から高校に行き、夜、帰宅したあとは、トイレの介助をしたり、2人の体を拭いたりしました。
高校時代は、気付くといつも日付は変わっていて、朝食の準備を済ませたあと、明け方に、母親と祖母の隣で布団に入るという生活でした。
それでも高校に通ったことは素晴らしい状況
ケアマネ介護福祉士的な感覚で行くと、このようなケースでは高校にもいかず、いざケアラーの役目を終えた後に仕事へ付けず、人との関わりも少なかったために就職してもなかなか人づきあいが出来ない人も多いイメージです。
定時制の高等学校を選び、ケアラー業務と勉学を両立したのは凄い事だと思ってしまいますね…。
素直に素敵だと思います。
「遊びたい」「誰かとつながりたい」
そう思うこともありました。でも“本当の気持ち”は誰にも打ち明けられませんでした。
とにかく、目の前のこと、その日のことだけを考えて、毎日を過ごすしかなかったといいます。
戻りたかった、でもできなかった
高校卒業時のカズヤさん
そんなカズヤさんにも、心から「楽しい」と思えた時期がありました。それは、高校を卒業したあと、少しでも家計のためになればと始めたアルバイトです。
このころ、自宅で療養していた祖母のために、初めて訪問看護師やヘルパーが家に来るようになり、数時間だけでしたが、カズヤさんが自由に使える時間を持てるようになりました。
好きな本に触れていたい、そう思って選んだのは近所の本屋でした。
週に2回、1日3時間ほど、棚に本を並べたり、会計の際に客とことばを交わしたり。アルバイト先では友だちも、好きな女の子もできました。
本を話題に会話がはずんで笑い合ったこともあります。そんな何気ない会話、時間が、とても新鮮で、幸せでした。
しかし、アルバイトを始めて6年ほどがたったころ、母親が足の骨を折って寝たきりになりました。
カズヤさんが付きっきりで介護をしなければなりませんでした。
アルバイトは辞めざるを得なくなりました。また、家族以外とは誰ともつながれない生活に戻りました。
カズヤさん
「唯一の、外とのつながりでした。だから本当は辞めたくありませんでした。戻りたいと思いました。でも、できませんでした」
2人だけで生きる世界
母親が寝たきりになってまもなく、祖母は亡くなりました。当時28歳になっていたカズヤさんは、それからおよそ10年の間、ほとんどの時間を母親と2人きりで過ごしました。
介護サービスを使って6年間バイト が社会復帰のポイント
介護サービスを使いながらその時間で短い時間と言えど、働いていたことが大きな社会復帰への決め手になっていますね。
コレが無ければおそらく仕事へ復帰できない人がほとんどになってしまうでしょう…。
ただ、短期間と言えど社会に出ているがゆえに、ずっと介護をしている場合と違い、通常の社会とは違う生活軸を送っている事に気付いてしまいますよね。
故に
『遊びたい。誰かとつながりたい』
そんな思いが出てしまいますよね。
人間として当たり前の感情だとは思いますが…。
それすらできなくなってしまうのがケアラーの怖いところかもしれません…。
介護に人生をささげるのは決して義務だとか責任だとか思わずに人や制度を上手く使ってほしいですね…。
寝たきりで床ずれができるようになった母親。
ヘルパーにお願いしようとしましたが、カズヤさん以外に体を触られるのを嫌がりました。
このため、カズヤさんが母親の背中をきれいに洗い、薬を塗りました。
また、体が硬直してしまい、うまく排せつができなかったため、たびたびシーツが汚れました。シーツを洗っては排せつ物の片づけをする、その繰り返しでした。
カズヤさんは、時間さえあれば母親の体をさすりました。
少しでも楽になってほしい、そう思い、母親のそばに座り続けました。
母親のベッドの隣、いつの間にか、そこがカズヤさんの居場所になっていました。
母親のそばを離れられないので、働きにも出られず家計もひっ迫していきました。
親族などからの支援を受けて、やりくりしていたといいます。
長く続いた介護のあとに
4年前の3月、母親は67歳で亡くなりました。
同時に、およそ30年続いた介護生活も終わりました。その時、カズヤさんは38歳になっていました。
気付くと、友だちも彼女もいませんでした。
仕事も家庭も、何よりも社会との「つながり」がありませんでした。
だから今、カズヤさんは「人並みの幸せ」を感じたいと話しました。
カズヤさん
「仕事して、結婚して、子どもができて。それが大きな夢というか、それしか考えてないですかね。半分諦めているんですけど、お父さんとお母さんが僕を生んでくれたみたいに、僕もそうなっていきたいと思っています」
支援の手が差し伸べられるように
カズヤさんのように、幼いころから家族の介護やケアを担っている子どもたちは「ヤングケアラー」と呼ばれ、ようやく、支援すべき対象と認知されはじめています。
福祉用具や支援拒否でもヘルパー介入の必要があったのかもしれない
文章だけではわかりませんので担当したケアマネージャーがそう判断したのであれば状況がわからない人間の横やりよりもよほど考えられているのでしょう。
一切批判ではないのをご理解いただきたいのですが、
時代もあったので何とも言えませんが、今だと自動体位変換付きのエアマットだったり、自動排せつ機だったりと、福祉用具を駆使し、ある程度ケアラーさんのお仕事時間を確保できたのではないかと思ってしまいますね。
状況によって、介護期間が長引くと予測がつく状況であればヘルパー介入の拒否が本人さんに見られても息子さんと一緒に介入するというのも一つの手段だったのかとも思います。
ただ、無駄に思える費用を払うことになったり、状態によっては死期が近いのにそんな精神的苦痛を与えるようなことは必要の無い展開になるので何とも言えませんが…。
誰かに相談して助けを求めようと考えたことすらなかった
だからこそ、今、カズヤさんは「周囲の人や行政の人たちから、ちょっとした声かけのような『優しさ』があったら、ずいぶん救われると思います」と話し、今もどこかで孤独に頑張っている「ヤングケアラー」に手を差し伸べてほしいと願っています。
カズヤさんは、去年10月、スーパーでパートを始めました。
働くのは本屋のアルバイト以来で、ゆくゆくは正社員になりたいと話しています。
カズヤさんは、前に進んでいくことを決めました。
彼の人生が、少しでも幸せになってほしい。
心からそう願っています。
それでも4年間の空白。社会生活に戻れない大きな課題
ケアラーさんが38歳の時に亡くなって、42歳で社会復帰…。
4年間の空白を経て社会生活へ復帰…。
四年を長いと思うのか、人生をかけたケアラーという仕事を終え、転職するための準備期間を短いと思うのかは人それぞれですが…。
ある程度アルバイトが長時間だったり、長期間継続的に行えていれば結果はちょっと違ったのかもしれません。
ケアラーの介護に関する支援だったり制度の整備は今本当にやっとであるものの、注目され始めていますね…。
ただ、ケアラーの人生自体を応援できるような、ケアラーとしての役目を終えた後…。
スムーズにみんなと変わらない事が出来るような支援をケアマネ介護福祉士的には必要なんだな…。
そう改めて気づかされたとてもいい記事でした…。
これからケアマネージャーが地域包括支援センター等とタッグを組んで解決していく問題でしょう。
ケアマネ介護福祉士頑張ります!!!!!
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